1990~2000年代に日本を代表する消費者金融会社として君臨していた武富士。
昔、奇抜なCMで話題となりましたが、皆さんも目にしたことがあるのではないでしょうか?
そんな、大手企業だった武富士ですが、現在はどうなっているか知っていますか?
現在、武富士は会社ごと消滅しています。
この記事では、武富士が現在に至るまでの経緯とブラックな実態・事件などについて、ご紹介いたします。
「武富士がどうして倒産してしまったのか?」が分かる内容になっているので、ぜひご覧ください。

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武富士ってどんな会社?
株式会社武富士は、消費者金融会社です。
1966年に「富士商事」という名前で操業されました。
1998年には東京証券取引所第一部に上場し、上場企業の仲間入りをします。
派手で印象に残るCMを放送したり、芸能人をモデルに起用したりするなどでスポンサーからも注目を集めました。
創業者である武井が一代で消費者金融業界の最大手まで急成長させた企業でもあります。
一時期は、創業者の武井氏は武富士の経営方針や体質を批判され、名誉棄損の訴訟を起こした事件で話題にもなりました。
武富士は現在、法人格が消滅している
武富士の現在は2017年に消滅したため、存在していません。
もともと、武富士は2010年に会社更生法による事実上の倒産をしていました。
その後、2011年の12月にJトラスト株式会社とスポンサー契約を締結。
Jトラストの連結子会社の「株式会社日本保証」が武富士というサービス名で、消費者金融ビジネスを承継することになりました。
2012年3月には「武富士」から「TFK株式会社」へと社名を変更。
承継後は事業がうまくいかず、13年に日本保証は金融事業からの撤退を決めます。
その後、2017年にはTKF株式会社は更生手続きが終結し、完全に法人格が消滅しました。
武富士が潰れた理由
武富士は2010年に倒産しています。
倒産した原因は、法律改正による過払い金請求に対応できなかったからです。
武富士は過去に法律を超えた金利設定を行い、利益を得ていました。
この不当な金利設定によるお金を取り戻すために、債務者だった人の多くが過払い金返還請求を行いました。
過払い金とは、法律で規定されている上限を超えた金利で貸金業者に支払ったお金のことです。
1部上場するような企業でも利息の上限を超えた金利を請求するなんて信じられませんね?
この過払い金をめぐるトラブルで、武富士の資金繰りは厳しくなり、倒産につながりました。
ちなみに、過払い金について、武富士は返済の義務があるのにも関わらず、まともに債務者に返していません。
債務者の方々は納得がいかないでしょう。
武富士の創立から消滅までの経緯
武富士の創立から消滅までの流れは以下の表の通りです。
沿革
1966年1月 武富士の前進「富士商事」創立
1968年6月 「有限会社武富士商事」設立。
1974年12月 株式会社武富士に改組
1998年12月 東京証券取引所第1部に上場。
2000年12月 「ジャーナリスト宅盗聴事件」発生
2001年5月 青森県弘前市の支店で放火事件発生
2010年9月 会社更生法の手続きを行い、倒産する
2012年3月 「TKF株式会社」に社名変更
2017年3月 「TKF株式会社」が更生手続き終了(消滅)
武富士の主な出来事について4点ピックアップしました。
- 武富士の創立
- 武富士の急成長
- 武富士の業績悪化
- TKFへの社名変更
以上の4点について、これから詳しく解説いたします。
武富士の創立
武富士の創立時の名前は「富士商事」です。
当初は団地に住む人々を相手に、「団地金融」をしていました。
団地金融とは現代の「サラ金」のことです。
サラ金とは消費者金融と同じ意味で、「サラリーマン金融」の略称を言います。
その後、名前を何度か変えて、1974年に「武富士」になりました。
武富士の創業者は武井保雄氏です。
創立後、2003年まで会長を務めた後に引退しています。
2003年に武井氏が電気通信事業法違反で逮捕されたのがきっかけです。
武富士が創業した当時は、日本は高度経済成長期。
武井氏は「ヤミ米」の商売で、貯めたお金で富士商事を1966年に創立しました。
当時は高利貸しの消費者金融を始めていたそうです。
1973年、創業当時のビジネスである団地金融からサラ金業をするようになりました。
当時はアコムがサラ金業界のトップで、武富士は知られていませんでした。
武富士の急成長
武富士は1980年ごろに大躍進しました。
武富士はサラ金業界でトップになります。
1991年バブルが崩壊し、景気が後退しだします。
このバブル崩壊により、多くの人が消費者金融を利用するようになり、消費者金融業界全体で活気が生まれました。
1993年にはアコムにより無人店舗である「自動契約機」を導入しました。
これにより、消費者金融はさらに消費者の中で、一般的なものになります。
「消費者金融=お金を安心して借りてよい業者」とのイメージが世間で当たり前となりました。
武富士では1995年以に「¥enむすび」という自動契約機が生まれ、利用のしやすさから武富士の業績はさらに良くなりました。
武富士は躍進を続け、1998年に一部上場企業になりました。
2000年代には、貸金業に関わる企業は今よりはるかに多くいましたが、そんな時代でも、武富士は業界内でトップに居続けました。
武富士の業績悪化
武富士は2000年に事件を起こし、それを機に業績が怪しくなっていきました。
その事件とは「ジャーナリスト宅盗聴事件」です。
ジャーナリスト宅盗聴事件とは、ジャーナリストの山岡俊介氏の自宅に、盗聴器が仕掛けられた事件です。
この盗聴器を仕掛けた犯人が武富士の社員でした。
実行社員は取り調べの際に、「武井保雄氏からの指示で、犯行を行った」と供述し、武井社長も逮捕されました。
その後、間もなく武井氏は会長職を辞任することになります。
2003年に他社に業績を抜かれ、武富士はトップではなくなりました。
武富士は最終的に業界4位にまで落ちます。
武富士の倒産
武富士は2010年9月に事実上の倒産をしました。
2000年以降に経営が傾きだし、2010年に会社更生法の手続きをとっています。
会社更生法は、日本の倒産法の1つです。
経営困難である会社に対し、事業の更生を目的としてなされる更生手続を定めるために制定された倒産法のことを会社更生法と言います。
武富士からTKFへの社名変更
2010年の更生手続きから2年後、武富士は社名変更をします。
2012年3月に武富士から「TKF株式会社」に社名を変更しました。
変更後は会社更生手続きに専念することとなります。
東京地方裁判所により会社更生手続きの開始が決定。
武富士は更生法の手続き期間中は、消費者金融事業は行っていません。
過払い金の請求期限は平成23年2月28日までに、債券届を出した人のみ、過払金の返金対応をすることなりました。
この取り決めにより、過払い金のある人でも期限内に債権届出書を出していない方には返還の請求ができなくなります。
武富士のブラックな5つの実態
武富士は社員にも、客にもブラックだったようです。
社内では部下に罵声を浴びせることが日常茶飯事、借金を返せない客には過度の取り立てが行われていました。
武富士のブラックな実態は主に、以下の5つです。
- パワハラは当たり前
- サービス残業
- 過剰な取り立て
- 過払い金の推定額
- 同族経営
以下に、ブラックな実態をまとめたのでご覧ください。
実態1:パワハラは当たり前
武富士の社内では、パワハラが当たり前だったようです。
武富士は悪質な労働環境であったため、勤続年数も少なく、女性は1年未満。
男性も1年半未満であることから、ひどい環境だったことが伺えます。
当時の平均勤続年数は1.1年と、業界内でもダントツのトップでした。
武富士の離職率は業界に限らず、職種においても離職率がトップだったと推測されているほどです。
2002年には、当時の支店長であった社員は、悪質なパワハラを受けて、訴訟を起こしました。
電話越しに、当時の専務はこの社員に対して、罵倒を繰り返している音声が証拠として提示されました。
今でもその音声はネット上に残っているようです。
部下への執拗なパワハラがうかがえる音声で、当時の社内の雰囲気がよくわかる証拠となっております。
実態2:サービス残業
武富士はサービス残業が常態化していました。
労働時間外に、町でのティッシュ配り、債務者への支払いの催促を行っていたそうです。
武富士は実際にサービス残業の強要が行われていたとして、元従業員2名に訴えられています。
パワハラにサービス残業とひどい実態ですね?
平均勤続年数が短い理由も納得です。
10年以上働くのは、よほど精神的にタフな人じゃないと続かないでしょう。
その代わり、給料は良く、「店長になれば最低800万以上の年収はもらえた」という話があります。
実態3:過剰な取り立て
武富士の貸付金の取り立ては異常でした。
電話をかけてくる回数や訪問回数が異常だったようです。
他の金融会社では、取り立ての電話が1日1回だったのに対し、武富士は3回行っていたそうです。
社員はノルマを達成するために、取り立てをしました。
会社や自宅への電話は当たり前で、子どもの通う学校に行って子供を待ち伏せまでしたそうです。
子供に問い立てて、何の意味があるのかは疑問でしかありませんね?
当時の消費者金融は取り立ての規制が緩かったようですが、現在は過剰な取り立ては禁止されています。
消費者金融が多くの人の中で、「怖い」という認識をされるようになったのもこの実態があったからでしょう。
社員も執拗な取り立てをすることに、相当なストレスを抱えていたと思われます。
取り立てに来られても返せない方は追い詰められるあまり、命を絶った人が多く、社会問題となりました。
実態4:過払い金の返還請求推定額は1~2兆円
武富士には債務者から過払い金の返還請求が行われています。
2006年に違法な高金利であるとの判決が最高裁で下り、消費者金融各社は過去の取りすぎていた利息を返還する義務を負いました。
この最高裁判決により、武富士は違法な金利設定をしていたことから、過払い金の返還請求を借主に求められたのです。
武富士は返済義務を請け負う額は推定1~2兆円とされています。
過払い金が発生してしまった原因は、法律にあります。
利息を制限している法律が2つあることが原因です。
1つ目が「利息制限法」、2つ目が「出資法」です。
当時この二つの法律があることで、金利の上限があいまいになっていました。
2010年以前は、出資法が年29.2%で、利息制限法は年20%と差がありました。
この9%の差が、出資法で認められているが、利息制限法では認められていない利息帯になります。
この利息帯は別名「グレーゾーン金利」と呼ばれています。
消費者金融の多くは、上限金利を高い方で設定しました。
しかし、2006年の裁判で、「グレーゾーン金利の利息は過払い金として返還請求ができる」判決となりました。
これにより、借主がグレーゾーン金利分の返済額の返還を求められるようになったのです。
その後、2010年に出資法が改正されたので、上限金利は20%まで引き下げられました。
改正を機に、今までのような高金利でお金を貸すことが消費者金融はできなくなりました。
それ以降、過払い金が発生することはなくなりました。
実態5:同族経営
武富士の社長である武井氏は、同族での経営方針にこだわっていました。
長男が専務、次男が副社長に指名されていて、会社の主要層は全員家族でした。
武富士が1部上場した時は、武井氏と妻が90%程度の株式を保有していたそうです。
初代社長の2003年武井保雄氏の引退後、武富士は経営が悪化していきました。
経営についてのアドバイスを外部から求めず、家族のみでの経営を続けた結果、経営事情の悪化を食い止めることができなくなりました。
そして2010年に倒産することになったようです。
武富士は計画倒産したのか?
2010年に武富士は会社更生法の手続きを行い、事実上倒産しました。
これは、計画倒産ではないかと推測されています。
計画倒産とは会社を計画的に倒産させることです。
倒産したら、消費者はその会社からのサービスを得られなくなります。
つまり、「お金だけ徴収して、サービスを提供しない」状態にできます。
武富士は当時4000~5000億程度の負債がありました。
しかし、この負債は長期的なもので、短期的に返済する必要がないものでした。
武富士は新規貸し出しを止めていて、今まで貸してきた借主から元金と金利の回収のみをしていたのです。
これにより、年間1000億円程度の利益があったと考えられています。
過払い金の額は1~2兆円相当ありましたが、返還することが難しいので、請求者と相談して、請求額を下げることが通常です。
過払い金請求は会社の資産を持つ範囲内で設定されるものです。
武富士の場合は、過払い金の返還対応をせず、会社更生法の手続きを行って倒産しました。
こうした経緯があり、「経営に余裕がある状態で倒産した」と予想されています。
この思惑には武井康雄氏が長男に株を贈与する公判を有利にしたかったからだと考えられています。
贈与する株の額は1300億~1600億程度と予想されています。
ちなみに、この金額は長男に渡ることとなりました。
過去の武富士に関連する事件・問題
悪質な実態がある武富士では、過去に複数の事件や問題があります。
- 東京ミネルヴァの過払い金収奪事件
- 武富士弘前支店強盗殺人・放火事件
- 残業代不払い事件
- 経営責任問題
以上の4つの内容について、下記で紹介いたします。
東京ミネルヴァの過払い金収奪事件
2020年に約51億円もの負債を抱えて破産した「東京ミネルヴァ法律事務所」。
その事務所が回収した過払い金を流用したとして、元「武富士」社員らに対して約6,000万円の損害賠償を求める訴訟が2022年1月19日に起こりました。
過払い案件に特化していた法律事務所が、元大手消費者金融に乗っ取られていたのではと話題になった事件です。
ミネルヴァを実質運営していた広告会社が、本来顧客に返すべきお金を不正に持ち出したことが争点となっています。
「東京ミネルヴァ法律事務所」は2012年4月に設立されており、事務員を手配したり備品のレンタル料などさまざまな手を使って事務所を支配下に置いたとされています。
この事件の怖いところは、マッチポンプのような形式が疑われること。
消費者金融の過払い金回収をしていた法律事務所のバックに、元武富士の社員がいたと考えると、なかなか闇が深い事件といえますね。
武富士弘前支店強盗殺人・放火事件
この事件は青森県の弘前市にあった武富士の支店で火災が発生した事件です。
当時の武富士の従業員5人が亡くなられ、4人が負傷した事件となりました。
この事件の後、弘前支店は閉店します。
犯人は当時タクシー運転手をしており、強盗目的で店舗に訪れたそうです。
店内に入ると、犯人は混合油を支店内にまき散らし、「金を渡さなければ火をつける」と脅しました。
しかし、支店長はこの脅しに応じず、110番に通報をします。
激怒した犯人は放火し逃走しました。
放火後の店内は一気に火が燃え広がり、全焼したそうです。
事件の犯人捜索は難航し、事件から10か月後、犯人が見つかり逮捕されました。
この犯人は2014年に死刑されました。
残業代不払い事件
2001年、武富士の元従業員2名から、労働基準監督署に告発を受けました。
武富士がサービス残業を社員に強要して、不当に働かせていたためです。
天万道老基準監督署は元社員からの労働金順豊違反の告発を受け、労働局が捜索を行いました。
その後、元従業員2名は武富士に対して、残業代等請求訴訟を起こしました。
訴訟後、従業員と武富士との和解が成立したそうです。
武富士の社員として働いていた当時、休日出勤や月100時間を超えるような労働環境であったそうです。
しかし、25時間を超過する残業時間は出勤時間に明記することができませんでした。
業績が悪いときはさらに悪化し、「男性15時間、女性0時間」の通達が本社から来たそうです。
当時の社員は出勤表に上限を考慮した労働時間しか記入できませんでした。
この悪質な労働状況が訴訟により発覚した武富士は2003年に武富士の5000人の社員に対して、35億円ほどの残業代未払い分を支払うこととなりました。
経営責任問題
長男の俊樹氏のもとに、裁判判決により2000億円が渡った後、借りていた顧客(債務者)から「2000億円を過払い金の返済のお金に充てるべきだ」との意見が多く上がりました。
俊樹氏は当時、責任を負う立場でなかったため、顧客は次男の健晃氏の元へ集まります。
債務者は訴訟を起こし、健晃氏に責任を果たすように求めました。
集団訴訟時に集まった債務者の数は400人にも上ります。
しかし、債務者の声もむなしく、経営責任を認められず、過払い金の返還率は0.9%となりました。
今でも過払い金請求はできるの?
武富士は2017年3月に完全消滅しているため、できません。
武富士は現在企業として存在していないのです。
過払い金請求の窓口となった会社も、コールセンターもないので、問い合わせることもできません。
過払い金の返還請求ができなかった債務者は非常に悔しいことでしょう。
責任を取る姿勢はなかったようです。
しかし、武富士の事業を引き継いだ会社があります。
「日本保証株式会社」という信用保証事業、不動産事業、貸金事業の三つの事業を行っている会社です。
武富士関連のトラブルがある場合は、日本保証に確認してみるのが良いでしょう。
まとめ
今回は「武富士の創立から倒産、消滅までの流れ」や「武富士にまつわる問題」について解説しました。
以下が今回の記事のまとめです。
- 武富士は「富士商事」として、武井保雄氏によって、創立された
- 1980年代から業績が伸び始め、1998年には1部上場企業となった
- 武富士の労働環境はブラックそのもので、社員の多くはすぐにやめる人が続出していた
- 2003年には武井保雄氏は盗聴事件を機に、逮捕されて会長を退任した
- 退任後、武富士の経営が悪化していき、2010年に更生手続きをした(事実上の倒産)
- 武富士の業績好調の理由はグレーゾーン金利が要因であった
- グレーゾーン金利の取引禁止により、過払い金の返還請求が行われた
- 2012年に、武富士から「TKF株式会社」へ社名変更した
- 2017年に「TKF株式会社」が更生手続きにより消滅。
武富士は急成長して、頂点に上り詰めましたが、ブラックな実態・事件が多くあったようです。
社員の勤続年数からみても、ブラックな社風が感じ取られますね?
「消費者金融=怖い」のイメージが浸透したのも、武富士の取り立てがあったからだと言われています。
いい意味でも悪い意味でも、武富士は有名となり、2017年に完全になくなりました。
昔に比べたら、消費者金融の取り立ては緩くなったようですが、返済できない分のお金は借りないように気をつけましょう。